本は捨て難い。売るにしても二束三文、値が付かないこともよくある。そんなことから本が増える一方で、置き場所に困るようになった。買うのは極力やめ、手持ちの本を読むことにしている。しばらく間があくと内容を忘れているから、読む楽しみはある。
ところで、内容を忘れているということは、読書によって得られたものが残っていないということか・・・。読書の時間は単なる時間つぶしに終わっていたのか。その疑問の答えを見出すためにも再度読み返す意義がある。
高校時代に読書感想文を書かされた。夏休みの宿題だった。これには手こずった。何をどう書いていいものやら。
素直に感想を述べればよかったものを、分析を試みたのがまずかった。
感想だけでは、原稿用紙のますを埋められないからだ。
人生経験に乏しい世間知らずの16歳にとって、三島の作品は理解の範囲をはるかに超えていた。国語の教師が何故これを課題図書にしたのか、聞いておけばよかった。まさしく過大図書だった。
主人公が金閣寺に放火したのは、美に対する嫉妬心から。
その嫉妬心が、何故そんな大それた行動につながったの か。
何度も読み返したが、感想はこれだけだ。
それ以前に、三島の文章の難解さにはまいった。ほかの作品も読んでみたが、いまだに苦手意識がある。
もう一度金閣寺を仔細に眺めてみたい。さらに、丹後の成生岬と由良の海岸を訪れてみたい。時期は11月だ。何か手がかりを得られるかもしれぬ。