行方知らずのさすらい暮らし

自称「さすらい人」が書き綴る気ままな日々の暮らし

音楽

駅ピアノ武者修行 ~ 名鉄一宮駅

外出する機会があり、少し足を延ばして一宮駅のピアノを弾いてみることにした。 順番待ちの人はいなかったので、3曲弾かせてもらった。 人通りの少ない割に周囲の物音で自分の弾くピアノの音さえ聴き取りにくかった。つい肩や手に余計な力が入り、ミスタッチ…

駅ピアノ武者修行 ~ JR多治見駅

駅の改札口に近づくとピアノの音が聞こえてきた。 ショパンの「英雄ポロネーズ」だった。アマチュアにしてはうまい。 何度も反復練習をしていた。感心する。 この人の後では弾きづらい。 めったに来られないので遠慮は無用。周囲の雑踏でミスタッチが目立た…

駅ピアノ武者修行

久々に駅でピアノを弾いた。 JR豊橋駅の連絡通路に設置されたピアノは、とても弾きやすい。同じYAMAHAでも我が家のピアノとはタッチが異なる。これまででは最もミスタッチが少なく、滞りなく弾けた。 前回同様、順番待ちの人がいなかったので、この日は、 シ…

やや難問

ロッシーニ ウィリアムテル序曲からスイス軍の行進 エルガー 威風堂々第1番 J.シュトラウス 春の声 チャイコフスキー くるみ割り人形から行進曲と葦笛の踊り モーツァルト 交響曲第40番第1楽章 ベートーヴェン トルコ行進曲 ブラームス ハンガリー舞曲第5番 …

前橋汀子 ヴァイオリン・リサイタル

絹の光沢を感じさせるヴァイオリンの音色を堪能したくて、著名な演奏家の生演奏を聴きに行く。 会場は、いずれ閉館となる名古屋のしらかわホールである。 決め手はプログラムだった。 バッハの「シャコンヌ」とサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」の2曲が…

いつまで道草を続けるのか

隠居生活のお蔭で、毎日ピアノを弾く時間ができた。連日同じピアノ曲ばかり練習し続けていると飽きが来る。そこで、つい誘惑に負けて道草を喰いたくなる。これまでのところ ・・・ ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」 第1楽章 11小節で怪しくなり、25…

街角ピアノ

隠居暮らしに自粛生活が重なって、平日の昼間に心置きなくTVが見られるようになった。長い人生で初めてのことだ。高額の受信料の元を取りたい。 以前はNHK教育TVの高校講座を見ていたが、落ちこぼれてしまう教科が多く長続きしなかった。 今ではNHK総合TVの…

駅ピアノ武者修行

所用で豊橋へ出向いた帰りに、駅の連絡通路に設置されたピアノを弾かせてもらった。 先客が2組あって、しばらく待つことにした。 ここのピアノはJR多治見駅と同じアップライトで、タッチも似ている。その点では弾きやすかった。 難点は、BGMのほか、駅の…

ストリートピアノ武者修行

所用で名古屋へ出向いたついでに、或るホテルに立ち寄り、ロビーに置いてあるピアノを弾かせてもらった。今はやりのストリートピアノである。誰でも自由に弾くことが出来る。 有り難いことにロビーには人がごくわずか。クラシック音楽には興味がないのであろ…

長久手にもピアノ有り

所用で長久手へ出向いた帰り、イオンモール長久手に立ち寄る。 ここには自由に弾けるグランドピアノが置いてある。 日曜日の夕刻で、ギャラリー多数。 同年代のおじさんが知らない曲を熱演中。グランドピアノは音がよく響く。演奏が終わると拍手が起こる。次…

久々にピアノの生演奏を聴く

セントラル愛知交響楽団コンチェルトシリーズの第44回。 このようなシリーズの存在は知らなかった。過去43回も開催されていた。 昨夜(9月2日)のプログラムは サン=サーンス ピアノ協奏曲第2番 ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲 ラフマニノフ ピ…

月の光 三者三様

ドビュッシー作曲「ベルガマスク組曲」の第3曲がよく知られる「月の光」である。これぞ不滅の名曲と呼ぶにふさわしい。無我の境地へといざなってくれる 現役の頃、部下の一人がこれを練習していると聞き、我が家の長女も弾いていたので、あえてチャレンジし…

音楽鑑賞記 その7

大編成のオーケストラを従えてコンサートホールにピアノを響かせる。気分いいだろうな。 ピアニストなら誰もがそう思うだろう。私にはかなわぬ夢なので、もっぱら聴きながらの疑似体験だ。 ブラームス ピアノ協奏曲第1番ニ短調 作品15 ブラームスが尊敬して…

音楽鑑賞記 その6

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第3番 「田園交響曲」と称されている。乏しい想像力からはまったく浮かんでこないイギリスの田園風景を、現地で心ゆくまで眺めていたいものだ。 画像を掲載できないのが残念。いつかはカメラに収めたい。 その静けさからは交響…

音楽鑑賞記 その5

ショパン マズルカ変ロ長調 作品7の1 これまで疎遠だった50曲を超えるマズルカの中に、こんな魅力的な曲が存在していたとは、うれしい発見だった。 4小節目の1拍目、装飾音からの4度の跳躍にハッとさせられた。 一瞬、異国風の気配を感じた。 ピアノを弾いて…

稽古は続く その2

前奏曲集第1巻 全12曲中第10曲 沈める寺 これを弾きたいがためにピアノに取り組んだようなものである。表向きはボケ防止でも、本音を言えば、ドビュッシーの曲を演奏したかった。 これも12曲のうちでは演奏が易しい方だ。特殊な技術は不要。むしろ表現力を試…

稽古は続く

趣味を聞かれて 「ピアノの演奏」 と答えられる人がうらやましい。 自分は 「ピアノのお稽古」 相変わらずこの言い方になる。 演奏ならほかの人に聴かせられる。 お稽古は他人にとっては聞き苦しい。だから、なるべく家人の留守中に弾いている。 いつかは、…

音楽鑑賞記 その後

ラヴェル ボレロ 以前に「リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のCDが私の選ぶベストだ」 と書き記したが、これと一、二を争うのが、シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の演奏だ。この組み合わせなら、おそらく1968年の録音であろ…

音楽鑑賞記 その後

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43 チェレスタの響きとともに静かに幕を閉じる最後の部分は、何度でも聴きたくなる。ここに至るまでが果てしなく長い。演奏時間は約1時間であり、いつも聞き流しだ。まだこの曲とは心が通い合わない。 鑑賞の仕方…

駅のピアノ

愛知県の駅にもピアノがあった。 豊橋駅の改札口の外、東西の自由連絡通路に置いてある。 先日豊橋駅に立ち寄った際、たまたま空いていたので弾いてみた。 以前に弾いた岐阜県多治見駅のピアノより音がいいし、タッチに違和感がない。 それにしても、場所が…

音楽鑑賞記 その4

ピアノを弾き始めて2年目に取り上げた曲が ショパン 雨だれの前奏曲 24の前奏曲中第15曲、変ニ長調作品28-15である。 変二長調については、「長調の中で最も暗く痛々しい調の一つで病的なロマン性も出す」という解説がある。 まさしくこの曲のことではないか…

音楽鑑賞記 その3

ラヴェル ボレロ この曲は聴き比べてみると興味深い。少しずつ違いがある。 楽器間のバランス、終盤にかけての盛り上げ方にはこだわりたい。 そうなると、リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のCDが私の選ぶベストだ。 6番目のフル…

音楽鑑賞記 その2

ショスタコーヴィチ 交響曲第4番 ハ短調 作品43 以前に取り上げた交響曲第11番が予想外に素晴らしかったので、その余韻が覚めないうちに未知の曲である第4番を聴いてみた。 何度聴いてもなじめない。こうなると趣味の問題だろう。 鋭い金管の響き、張りつめ…

音楽鑑賞記

音楽ネタが途切れていた。 読書感想にならって、音楽を聴いた感想を気ままに記しておこう。 ベートーヴェン ピアノソナタ第29番 変ロ長調 作品106 晩年のピアノソナタが抵抗なく聴けるのも、老境にさしかかった証だろう。若い頃は敬遠していた。 この曲に限…

ピアノ協奏曲に挑戦

ピアノリサイタルはともかくとして、オーケストラと共演できるピアノ協奏曲の演奏は夢物語、せめて有名な曲の独奏部分だけでも弾いてみよう。 選んだのが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番から第1楽章の冒頭8小節だ。 これまでに聞いた限りでは簡単に弾けそ…

ショスタコーヴィチの音楽

どちらかと言えば苦手とする作曲家の一人。音楽には精神安定剤としての効用を期待しているからだ。 マーラーと同様、人生の苦悩や境遇が作品に色濃く反映されている。ときに気が滅入るほどの暗さが印象に残り、ショスタコーヴィチの作品に対する先入観につな…

シベリウスの音楽

夏が近づいてきた。北欧フィンランドの作曲家シベリウスの音楽に涼感を求めたくなる。 番号の付いた交響曲が7番まであり、これらを聴くのに予備知識は不要、ひたすら音楽に身を任せるだけでいい。 第2番は聴く機会がきわめて多く、いささか食傷気味になりつ…

ラヴェルの音楽

ラヴェルといえば「ボレロ」。 2種類の旋律が延々と繰り返される。楽器とその組み合わせがその都度変わっていくので、決して退屈することはない。 最近、これもラヴェルの作品なのか、と耳を疑う風変わりな曲の存在を知った。 ヴァイオリンソナタ ト長調 ヴ…

プロコフィエフの音楽

プロコフィエフといえば「ピーターと狼」 これを聞くと小学校の給食の時間を思い出す。昼の放送で流れていた。 この限りでは、自分にとってはなじみのある作曲家だった。 その後、年月を隔ててほかの作品に接すると、これがプロコフィエフの音楽なのか、と少…

懐かしの流行歌

ネタが切れたので再び音楽の話。 かすかな記憶によれば、我が家にまだTVがなかった頃、茶の間のラヂオからよく流行歌が流れていた。 そんな日常だったから、すっかり耳になじんだとみえる。いまだに昭和30年代以前の流行歌を聞くと、郷愁にも似た懐かしさで…